私はホワイトチョコじゃあ残念だけどない。


やわらかいミルクチョコを、パリっとしたビターチョコでコーティングしたようなやつだ。たぶん。


だけどたまにそうじゃなくなる。


そうじゃいけない時もある。


ホワイトチョコにはやっぱり残念ながらなれない。


でもストロベリーチョコくらいにならなれる。なる時がある。


そのだいたいは勝手にそうなるのじゃなく甘い甘いチョコになれなるのだとちょっとばかし努力する。


だって中身はミルクチョコでも表面はビターチョコだもの、


チロっと舐めただけじゃ苦いんだ。おいしくないかもしれない。


苦さで愛を伝えるのは難しい。甘さが足りないと言われても仕方ないの。


だからなるべくストロベリーチョコにくるまっている必要があるのだ。


でも時々それが疲れる時がある。疲れる時もある。


私がホワイトチョコなら問題ない。そのままで充分だ。甘くってスウィート。同じ意味。


中身がミルクチョコでもね、口に入れた第一印象が苦いんだもの、


そこで吐き出されたらおしまい。


だからせめてストロベリーチョコに私はなる。


ストロベリーチョコの海にダイブするのだ。チャプン。


コーティングは剥がれない。それもまた生まれ持った物だから。


私のビターチョコのコーティングはどうも中身に蓋をする大きな役目となるらしい。


だからせめてストロベリーチョコに変装する。


それって嘘とは違う。


ストロベリーチョコでいるくらいでやっと中身のミルクチョコがわかるくらいだもの。


つまり愛情表現の下手な日本人は多少大袈裟と思うくらいに言うのでちょうどいいみたいな。


顔の怖い人は普通の人より余計にニコニコしてないと中身も怖い人と勘違いされてしまうみたいな。


髪を切りに行って、自分が思うよりも少し長めに伝えた方が理想に近い仕上がりになるみたいな。


わかりづらいな。そんな感じなのだ。


多少疲れてもそれで本当を伝えれるのなら、伝わりやすくなるなら、


あなたを傷つけないなら、あなたを優しく包めるのなら、


あなたの前でだけはストロベリーチョコになるのも悪くない。


と思う今日この頃です。


なんてねなんてね(´ー`*)


まる。